今から30年程前になるが、当時俺たちのバンドの用心棒兼運転手をやっていたトビーという不良外人がいた。
このトラブル製造機トビーがある日、興奮した様子で店に現れるなりオレに向かってこうまくし立てた。
「ヘイ、ノゾム!すげープレゼント持って来てやったぜ!』(あ。この野郎また何か面倒ごと持って来やがったな!?)
『いらねーから持って帰ってくれ!』というオレの即答を聞いてニヤっと笑ったトビーが後ろを振り返りながら
『みんな、入りなよ。ココがオレの店、チキンシャックさ』(オレノミセ?だと!?)と促されると、覚えたての
日本語で『コニチワ、My Name is Jerry デス』と挨拶しながらヤツの陰から二人組の白人が顔を覗かせ、
恥ずかしそうにオレに手を差し出して来た。シャックに”アメリカ”(*1)が訪れた瞬間であった。
 思わず『ス、スゲー! AMERICAじゃん!!』と叫んでオレは、トビーのアバタづらにキスしながら、
彼らを店の中へと招き入れた。招き入れつつ彼らの顔を改めて確認、お〜、歳は取ったがこのサラサラ金髪に、
あの丸メガネ!間違いない!このおじさんこそ、ジェリー・ベックリーである!
しかし、仮にも全米ヒットチャートNo.1シングル持つバンドが、ナゼ此処に?
しかもトビーのエスコートで?? 不思議に思いジェリーと共に来たプロフェッサーと名乗るもう一人の
小柄なおじさんに訊ねると、『うん、実はね、今回僕らが此処へ来た目的は、米軍兵士とその家族たちの為の
慰問演奏をするために来たのさ。』
(ご存知の方もいらっしゃるだろうが、アメリカの芸能人や歌手などの著名人の中には、この手のボランティア的
活動が好きな方が結構おり、誰だったのかはまるで思い出せないが、オレも時に驚きのビッグネームアーティスト
のショウがタダ同然で観られる恩恵を授かった記憶がある。)
 彼はこう続けた『ジェリーは何年もの間ドラッグで苦しんでいて音楽活動もままならないくらいの
有様だったんだけど、半年間の療養期間を経てやっとここまで復活したところなのさ。』
そしてこの日から約1月半の間、彼らは毎晩の様にシャックに入り浸るのであった。